年は新たになっても、ラウィはそのまま?

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バリの人々にとっての生活必需品、‘バリ カレンダー’。ここには、年間の宗教儀式や活動に最適な日が記されている。複雑怪奇な組み合わせを元に、最初にカレンダーを作成した人とは?

クトゥット バンバン グデ ラウィは、1910年9月17日にスカワティ チェルク村で、父ジェロ マンクー ワヤン バンバン ムラットと母ジェロ マンクー ニョマン ラスミの間に生まれた。

1929年、スカワティ公立グブルヌメン学校を卒業後、19歳でクトゥット バンバン グデ ラウィは、バリヒンドゥー教の哲学・慣習・人々の日々の活動の勉強を熱心に始めた。

この学問を追及する過程で、彼は、何軒ものグリヤに通い、ロンタルに記された経典を探し、民衆の活動を追及し、又、多くの僧侶らとの意見交換を行った。

1940年代、彼はチェルク村の村長にもなった。その時にラウィは、宗教儀式や慣習の活動の時に、最適な日を探す時に使われた沢山のロンタル書物を相続されたのだ。時が過ぎ、カレンダーの作成をするように求められるようになった。しかし、謙虚な気持ちから、彼はこの申し出を断った。

しかし、1948-1949年に行われたバリ-ロンボクの高僧達の会議の中で、‘バリ カレンダー’の作成を彼に全面的な信頼を持って委任することが決定したのだ。

この決定に対しては、断ることが困難だった。そして1年後、イダ プダンダ マデ クムヌーの後押しを受け、ラウィはカレンダーの作成に取り掛かった。彼が手がけたカレンダーが最初に発行されたのは、プスタカ バリマスからだった。その後1954年、彼はバリ州地方議会の議員となり、バリの慣習と宗教部門で活躍した。

バリの多くの知識人は、1980年代に他にもカレンダーを作成しているが、クトゥット バンバン グデ ラウィの‘バリ カレンダー’は、使いやすいと現在でも人気があり、多くの住民に愛されている。

的確な内容の他にも、彼のカレンダーの特徴は、ネクタイを締め眼鏡をかけた彼自身の顔写真が、今も変わることなく載っていることである。何故、バリの民族衣装の男性用被り物を身に着けていないのか?その理由は皆目謎である。しかし、このネクタイを締めた顔写真は、バリ州地合議会の議員として撮った顔写真なのだ。

クトゥット バンバン グデ ラウィは、1989年4月18日、途方もないの賢さ、すなわちバリ カレンダーの作成方法についての知識を次世代に残してこの世を去った。

2017年のバリ カレンダーは、もう手に入れただろうか?

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SEJARAH BALI

#バリカレンダー #バンバングデラウィ #顔写真

 

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