ウブドでレゴンダンスのマエストロの火葬式

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ギャニャール県ウブドにバレガンジュールのシンバル演奏の音が響いた。数千人の住民と、数百人の観光客が、プリアタンスタイルのレゴンダンスのマエストロと言われ、その名が世界に知られたアナック・アグン・イストゥリ・シティアリ氏の葬儀に加わった。氏は、3年ほど前から持病となっていた脳卒中と老化により、7月26日、4人の子供と十数人の孫を残し、最期の息を引き取った。

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20日、プリアタン村のアグン・プリアタン宮殿のレンブー・セレム(牛の張子)と17メートルの高さのバデ・トゥンプン・シア(9段のバデ)を、同じ紫のユニフォームを着た数千人が意欲をもってバンジャール・テバサヤにあるダレム・プリ火葬場に運んだ。故人(プリ・アグン・プリアタンのチョコルダ・グデ・プトゥラ・ニンディア氏の母親)の最期を送る儀式である。火葬のプロセスには、バンジャール・トゥンガ・カンギン、トゥンガ・カウー、パンデなど、いくつかのバンジャールが関わった。。その他、プトゥルー村のバンジャール・プトゥルー、クトゥー・クロッド村のバンジャール・クトゥー・カジャ、タマン・クロッド村も加わっており、プリアタン村のバンジャール・テルナも無償で手伝った。

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プリ・アグン・プリアタンのチョコルダ・グデ・プトゥラ・ニンディア氏は、火葬までのプロセスに快く関わり手伝ってくれたこれらの人々に感謝していると述べた。故人がバリ舞踊を学び始めたのは7歳の時だという。子供の頃からバリ舞踊に対する秀でた才能と深い興味があった。これはまた、伝統舞踊分野に深い理解を持つ家族の伝統によってサポートされた。一時は、レゴンダンスのマスコット的舞踊家となった。14歳の頃には、何度もスカルノ元大統領からの招待を受け、ジャカルタの大統領公邸やギャニャールのタンパクシリンにある大統領公邸で踊った。

この第1代目大統領は、バリ舞踊を好むあまり、息子のグルー・スカルノプトゥラ氏にバリ舞踊を教えるよう、アナック・アグン・アノム・シティアリ氏に依頼したこともある。バリ舞踊は、故人の生活の一部であり、1958年にチョコルダ・グデ・アグン氏と結婚した後も続けた。また、舞踊の先生として、バリ州内外で数百人の生徒に教えてきた。

故人のバリ舞踊の天才的才能で、各国からの招聘もあった。1959年中国、1964年パキスタン、1968年日本、1971年オーストラリア、1973年ヨーロッパ、1982年アメリカ、1996年シンガポールに赴いている。

via Tribun Bali
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